想念を観る

【無断転載を禁ず】

 

人は様々な知識を持っていて、それは外側から

学んだ知識であるが、知りたいことはなんでも

知ることができると思っているだろう。

その思いを否定はしない。だが、知識の基礎に

なる自分の想念を知る人はいないと言っていい。

そもそも想念とは何かと知る人もいないと言って

いい。

無価値に思える想念と言うものが実のところ、

あなたの本性を覆い隠しているという事実。

それも人は知らないのだ。

 

26歳の頃の体験の一つ。

神奈川県の丹沢山中へ10日間の断食瞑想に行った。

川中の大きな岩に座して瞑目した日浦。その瞑想

する日浦の姿を客観視する別の自分がいた。それを

スピ世界の用語を用いるなら、瞑想する身体である

ボディーを数m先から眺めていたのは、第三番目の

アストラルボディーである、と言う事だろう。

この時、アストラルの霊眼が開いていたのだ。

アストラルボディーの霊眼は、川中の岩の上に座す

肉体の日浦の額から、子供が遊ぶシャボン玉のような

ものが大量に放出していたことを目撃し、驚いていた。

 

これは何だ!?
それは、想念だ!

 

シャボン玉のような球は、透明であり、それが眉間

から無数の球となって飛び出していた。一つの球の

中には、単一の想念があり、それらが無秩序に放出

されていた。この頃、チャクラという言葉さえ知ら

ない。チャクラを知らなくても、額から放出されて

いた想念が、頭蓋骨内部にある大脳から放出されて

いたと知る。それを観れば、その意味が分かり、

チャクラの存在性や様々な説明は、瞑想に必要なもの

ではないと知る。

 

思考と言い、想念と言い、マインドと言い、或いは

心というのは、脳内から生じている不可解なものだ。

しかし脳から生じているけれど、脳は思考していない。

何となれば、大脳は不可知なるエネルギーの振動を

現すだけだ。この振動を脳波と呼び、脳が思考すると

言うけれど、それは錯覚なのだ。

脳が考えるのか? ノウ!

 

若き日浦は、想念と言うものの正体を観たけれど、

想念がなぜ脳から生じて、思考に発展するのか、

それが丹沢山中の瞑想では、不可知だった。

ラージャヨーガの注釈者であるヴィヴェーカナンダ

師曰く、「有史以来、いまだかって人の脳髄を観た

者はいない。」と言っている。彼の指摘する通り、

脳髄の性質・働きを観る人は居ないだろうと思う。

 

解剖学的に脳髄を見たとしても、それは、あくまでも

現れた外部であり、脳髄の内部ではない。切り開いた

ところは、それが外部と呼ばれるからだ。

さて、脳が脳波を生み出し働くためには、神経組織と

脳髄、五感の知覚・反応が必要であり、感覚と反応無

くして脳は機能できない。神経を流れる不可知な電気

的エネルギーの正体を知らなければならない。正体を。

 

つまり思考とは、それらの総合性に加えて、神経組織を

流れる霊的智慧が結合して作用するのだ。ゆえに脳が

単独で思考する実態では在りえない。だから脳が考える

のだと考える脳学者たちは、瞑想により、感覚を超えて

脳と神経組織の内面を透視しなければ、本当のことを

知ることができない。この実践は簡単ではない。

 

眉間から放出される透明な球の中に在る想念は、いわゆる

「単語」だった。無秩序に放出された球内にある単語は、

不可思議な力によって、それに主語、述語、形容詞などが

接合され、それが「思考」を作り上げていた。その連続が、

いわゆる文書・思考の原型である。

 

想念は、単一なる語であり、思考は想念の結合体である。

そして、言葉は想念から生まれる。そこから空間と時間も

生まれる。瞑想において、消滅させるべく思考とは想念の

集合体を言うのだ。

ここでは、重要な視点がある。

想念はすべからく外部からやってくるものであり、自分の

ものでは無いと言うことだ。そのことを人は知らない。

もちろん脳学者も知らない。もし、知っていたならば脳が

考えるなどとは言えないのだ。

 

想念の正体は、ひとつに過去の記憶の一コマである。

それは、数百年前か、数千年も前のものか、それを

感覚器官としての心が現代風に翻訳しているのだ。

それがカルマと呼ばれるものであり、その記憶が薄れる

とき、微細な印象になる。

この印象に不可知なエネルギーが加わるため、想念が

生き物の如く働き、人の心を動かす。すなわち不可知な

外来の想念こそ、人の思考を動かす見えざるプログラム

なのだ。人は誰もが不可知な力によって、マインドコン

トロールされているのだ。だが人は、そのことを知らない。

だから、僕の考えとか、君の考えなどと言うのだ。

いわば霊的原子の記憶素子であるカルマは、三種類の

素粒子からなり、印象・イメージとして、潜在意識と

呼ばれる階層へ流れ込み、そこから表面意識へと浮上

してくる。人は、それを知覚し、自分の想いだと信じ

込む。それが人類の記憶の総計、すなわち人類全体の

カルマとして働いている。そうした想念の大海に人は

いるのだ。潜在意識は、カルマの貯蔵庫のようなもの。

だから「潜在意識を活用せよ」とか「無意識を使え」

などと教えるのは、人を愚か者にしたり、不幸にする

悪魔であるか、その代理人のプロパガンダである。

 

想念が消え去れば、カルマが消え去り、どんな思考も

生じない。それは、人を正しいゴールへと導く。

 

丹沢山中での瞑想体験は、ただ想念を観たと言うだけに

留まり、それは、肉眼ではなく、鋭い霊眼ではあるが、

想念を消滅させなければいけないとは知らなかった。 

 

ヴィヴェーカナンダ師の言われたこと、脳髄を観た者は

いない、ということではあるが26歳の日浦もそれを観た。

読者がそれを理解するためには、それらに関する正確な

知識と真の瞑想とが必要になる。

記事「マインドコントロール」参照。記事「心の正体」

も参照のこと。