かごの鳥

いつ、どこの場所なのか、忘れたけれど、
そこは、広大な山地にある動物園だった
ように思う。

縦横が数十mある網の囲いには、あこがれの
大鷲が居た。その大鷲を見た時、たまたま
偶然にか、大鷲が翼を広げて、近距離対面に
ある木に向かって、飛んだ。

飛んだと言っても、大翼を一回か二回、小さく
羽ばたいただけ。

大空を自由に飛ぶ大鷲の束縛された姿は、
見るに堪えんかった。彼は、かごの鳥だと
認識していて、自分が大空を飛ぶ自由を
渇望していた。
かといって、空へ放す訳にもいかない。
買い取ることも無理だった。

水族館に育ったイルカ、かごの鳥になった
大鷲。そして、幼少から狼に育てられた
狼少年と狼少女はかなりの数いた。
元々は人でありながら、狼だと思い込んで
生きる獣道の体験。自分の身に考えれば、
やなこった。

自由な魂が、人の子に生まれて、自分も
人だと思い込まされて生きる人生は、
これ根源的な苦の幻術なり。マーヤとも
言われること。

この根源苦を覆い隠すもの、それが人生への
生存欲求そのものだ。それが人を支配する
限り、人は自ら束縛される。

何が束縛か?
それは、生存欲求から成る人生への興味だ。

小学生の時、体外離脱を体験し、それを幾度も
体験してから、身体は自分自身じゃあないと
気づいてはいた。だが25歳の時、高橋信次の
家に挨拶に行った。入社するために。
そのときから、自分と他者を眺める自分が
居て驚いた。すると、体外離脱したものは、
これもまた自分では無いのだと知る。

その後もいくつかの身体を離脱した経験を
持っているが、いくつもの身体を脱ぎ捨てる
者は、いったい誰なのか、ハッキリわからない
ままだった。

聖霊という存在にも何度か会ってはいたが、
そのことの体験の意味もハッキリと分かって
いなかった。

そんな僕も60歳を過ぎてから、紫蓮さんに
出会ったからこそ、この根源的なカラクリを
知った。
それまでは、単なる知識があっただけだった。

人が解放されると言うこと、本当に難しい。