知識という病

【下記は、転載・流用を禁じます)

ラーラジャパンのブログを読んでいる読者諸君よ

このブログを読むな!とは言えないが、読むこと
において、警戒心を持って欲しい。

警戒心とは、どのようなことかというならば、
人の心、脳、思考、記憶は、宇宙に存在する
ダークマター或いは、ブラックホールのような
側面があることを知ってほしい。
広大な天空にきらめく星々は、個々の魂の基盤と
して存在しているように、
同じ天空には、ダークマター、ブラックホールが
存在している。物質性なのも、光りも重力も吸い
込んで無力化するというブラックホール。
それは、人の心の闇が作り出している世界なのだ。

マインドの闇は、他者の情報であるという認識を
消し去り、他者の情報を私物化する。この習性が
あればこそ、教育の効果が生まれ、人は、様々な
知識を得てゆくことが出来る。それが世の中と
言うものだ。

だが、知識、情報収集も反作用もあることを
知らなければならない。ブラックホールと
ホワイトヒールの違いを知らなければならない。

日浦を騙るものが、少なくても7人いることが
明らかになった。彼らが日浦を騙るようになった
のは、Youtubeであり、ブログを読んだからだ。

ここでの論説は、日浦を騙る者の批判ではない。
読者にあてはまる、もっと根深いものだ。

では始めよう。

その基本構造は、聖書や仏典を読んで悟れる人は
居ないという事実。比較的近年のラナマ・
マハルシさんの書籍を読んだ人は大勢いる。
だが、その読者の誰も悟れない。

なぜか?

活字を追う者は、諸君のマインドだ。文字を見るのは、
脳の出先機関である視覚器官であり、その情報が脳へ
伝わる。そして脳は思考する。なぜ?どうして?と。

このように大脳・マインドは、疑いの観念や勝手な
思い込み、過去の古い不適切な知識を混ぜ合わせて、
結論を下す。自分の感覚や価値判断において。

この時点において、人の認識、判断、知覚は、当てに
ならないものになっているということだ。このことを
誰も気づかない。
脳とは、マインドの首座であり、マインドそのもの。
無知とはマインドの別名のこと。無知であるからこそ、
様々な知識欲が生まれると言うこと。それ故マインドの
得た知識は、ほとんどが真実では有りえない。
このことにも人は気づけない。

マインドがマーヤを投影している、という説明を理解
できない人達は、より警戒しなければならない。
再び、何を警戒せよと言うのかと思わなければならない。

日浦の語ることにウソは介入しない。ブログも真理だと
言っていい。

だったら、なぜ警戒しろと言うのか?

読者が日浦のブログを読むとき、それは、マインドという
無知が読んでいるのだということ。マーヤの性質が文字を
読んでいて、読んだ知識を無力化しているブラックホール
状態になるのだということ。

これに対し、多読主義者たちは、言訳をするだろう。
だが、その言い訳は聞く意味も無いのだ。

真理の言葉、書籍、活字をう追う者は、あなただと
勘違いしているのであって、無知というマーヤが
それらを無力化しているのだという日浦の論説だ。

読者が日浦のブログを読み、自分を目覚めさせようと
言う意思を生まないなら、諸君のマインドは、
ブラックホール機能が働いているということだ。

このことが、読者が自分自身に警戒すべきことだ。

遠い過去から、様々な真実の知識が与えられて来た
けれど、今もなお、あなたが目覚めていない現実は、
すべからくマインドのブラックホール機能による
真理の無力化だということ。

その傾向は、今現在の読者にあてはまる。
どれほどのスピ遍歴をしていることかを認めるなら、
あなたのマインドは、満足することを知らないのだ
ということを認めなければならない。そしてまた、
真実を知覚する力は、マインドに無いということを。
それと共に、無知なるマインドは、どこを彷徨っても
終わりがあるということを知らないという習性も認め
なければならない。

自分を解放したいという想いがない人は、知識を
積めば積むほど、マインドが「狡猾なる鈍感」に
なるという事実。知識を増やせば、増やすほど、
悟りに遠のくということ。

それは、どういうことか?

知識を求めるのは、マインドだと理解するなら、
来世、もし目覚めた人が現れたとき、現れないと
思うけれど、彼の話を聞いた君のマインドは言う
だろう。

「それがどうしたのさ?」

「そんなことは知っているよ?」

「だから何が言いたいのさ?」

賢い読者がいるなら、この論説を理解するだろうか。