忘却の人

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表題の「忘却の人」と書いて、何やら詩でも書くのか
と思う人が居るかも知れない。時々頭をかいたり、
恥をかくことはあっても、詩を書く才能は無い。

じゃあ何が言いたいのか?

人は夜になると眠り、夢を見て、朝に目覚める。
目覚めてから、不思議な夢を見たという人と、
睡眠中に夢を見る人は同じだと説明した。

しかし、目覚めた瞬間、人は錯覚をする。
どのように錯覚を起こすかのと言えば、
自分は目が覚めたとういとき、それは、
あなたじゃあない別のものが目を覚ます。
このことに気づく人は
居ないと言っていい。
じゃあ、いったい誰が目が覚めたのか?
実際的には、「自我が目覚めた」と言うことだ。
眼が覚めた自我は、顔を洗い、歯も磨き、朝食を
作るか、作られたものを食べるか、朝飯抜きの
出勤をするか、さぼるか、とにかく職場へ行って、
そこそこの仕事をする。これらの活動すべてが
自我の働きだと言うこと。

話しを根本に戻そう。
あなたは自分が生まれた光景を見ていない。
だが生まれたという観念を持つ。その観念が確信に
変わるのは、他者が誕生した光景を見たからだ。
このようにして自分もまた生まれたのだと思う。
それゆえに、人の誕生とは、これまた「自我が
生まれた」という
ことだ。身体も心も、自我も
エゴも、あなたでは
ありえない。
という事実に気づくなら、人生は創造的に生きる
ことが出来る。

真実は、あなたは生まれてさえいない。

ふぎゃあーと言う泣き声をあげて生まれ、毎日の
生活をするもの、それはすべてが自我の働きだ。
あなた自身ではない者、身体と心と自我の働きとは
いったいなんぞや?

生まれてからずっと、今現在でさえ、あなたが誰か
それを知らないと言う不思議。いや不思議とさえも
思わない不思議。
あなたは、一体どこへ行ったのか?存在するのか、
それとも存在しないのか?
そんなこと誰も考えない。だから謎のまま

本当に目覚めた人、それが解脱とも言われること。
それ以外の人は、わたしを知らない人だ。わたしを
忘却した人だ。

わたしに成り代わるような、なりすましの者が送る
人生とは、何の価値があるのだろう。真実のあなた
にとって、成りすまし野郎が送る人生は、意味も
意義もあるわけがない。だが、なりすまし野郎は
無意味に思える人生には、意味があるなどという。
それに誰もが騙される。

あなたは、なりすまし野郎から、人生の全部を
奪い取られている。これが事実だ。
あなたの人生を欺くもの、それが自我。エゴ。
狡猾なる自我は、苦渋に満ちた無限の過去世を
忘却させて、とにかく生きよう、生きねば!
生きることは楽しいのかも知れないなと言い、
自我を存続させるもの。

諸君、ミーちゃんもハーちゃんも忘却の人だ。

あなたが、すべての過去世を思い出すなら、
人や動物に生まれることが、どれほど愚かな
生き方をするのかをハッキリと知る。
そして、二度と生まれようとしないだろう。