自由になれ

【下記は、転載・流用を禁じます】

今まで批判対象になったスピリチュアル世界は、
様々な不条理の対象があり、それらの全部が
自分の
外側に展開するマーヤの世界です。

マーヤの世界においては、偽りに隠された真実を
観ることができ無いだけでなく、永続する幸福も
自由もめないということを、多くの人は感じ取
っています。そのことから、外側の世界に目を
向けると、腹立たしいことが沢山あり、それに
巻き込まれることも起こり得るから、外側世界に
関心を持たないことの説明なのです。


しかしながら、根拠の乏しい希望という名の
期待感をもって、人や世の中を信じようとして、
この世に関わっている現実。

この世は苦である、信ずべきは何もないのだと、
ハッキリ認識しないのは、
このような期待感が
あるからです。これを希望といい、
或いは、
生存欲求、生存本能とも言えるのです。


この人生が、生きること自体が、苦であると事実
認識したら、人は生きることが出来ないでしょう。
だからこそ、苦を苦として認識することを覆い隠す
ための希望とか生存欲求が生じるのです。

皆さんは、そのことを認めないでしょう。
ただ生きること自体が
そのまま命題だからです。
生存欲求は、その根底に何があるのか知っていますか?
皆さんが知っているのは、生存欲求という言葉だけです。

その深い意味を誰も知らないのです。

この日浦という身体、それを投影しているエネルギー
そのものには、生存欲求が無いのです。何故なら
非物質なる光りそのものであり、それは生命現象を
超えたエネルギーだからです。
このことは、皆さんも本質は同じですが、皆さんは
身体の生存欲求に支配されているのです。

「あなたは、自分は、身体ではない」という教えを

思い出してください。
それが分かれば、生存欲求が
幻想だと分かるのです。
生存欲求自体が「自我」と言われ「エゴ」と
呼ばれる
ものの核になっているのです。
身体と心は、自分では無い、と否定し、自我といい
エゴも自分では無いと否定することから始めないと

求める自由も、永続する幸福も、画餅の餅になって
しまうのです。

ある時、紫蓮さんに聞きました。
「紫蓮さん、自我とかエゴとかいうものを別の言葉を
持って説明するなら、どのような言葉がありますか?」
すると、すぐさま答えが返ってきました。
「自我、エゴ、それは生存欲求そのものだよ」と。

このことの理解は、決して簡単ではないでしょう。

人が本当に自由になるためには、身体を持ちながら、
つまり生きながら、永遠に自由な魂を知覚すればいい
のです。そうすれば、人を束縛する様々な義務(家庭を
守る義務、子育てする義務、社員の義務その他、お金を
稼ぐ義務などなど)は、その強い束縛性を無力化され、
人は文字通りの自由になれるのです。

この宇宙、そして、時間と空間も魂の中にあるので、
あなたは時間の束縛からも自由になり、空間の制限も
あなたを束縛しなくなります。ウソのような事実です。
真実の知識は、魂の性質なので、身体がマーヤの世界に
あっても、騙されることも無くなり、他者の書籍から
知識を得ようとする無駄も無くなるのです。もちろん
邪教にひっかけられることも無くなります。失恋して
泣くことも起こらず、離婚騒動に悲しむことも無くなり
平和がそこにあります。
魂の超越的な力をもって、このマーヤの世界に生きて、
それと同時に実在のあの世とを同時に生きることが
出来るのです。この時、幻想の生存欲求が消え去り、
不自由という観念さえも消え去り、思い通りの自由が
得られるのです。これが本来の生き方です。
だから、粗大ゴミ以下のスピリチュアルや宗教などに
関わることなく、魂という本性に生きればいいのです。
解脱という言葉が古めかしくて、誤解を招くものゆえ、
それを完全な自由という言葉に表せばいいのです。
自由への熱望を持つことが、人の使命なのです。

「ゴミ以下のスピリチュアルや宗教」

ゴミは、分別処分すれば片付きます。
しかしエセ宗教、エセスピリチュアルは、自他を狂わせて、
来世のカルマになり、あなたと他者に被害を与えます。
故人のルソーは、宗教はアヘンだと言ったそうですが、
アヘン、麻薬中毒は治ります。
しかしながら、悪なるカルマは来世においても破壊され
ないのです。あなたが宗教やスピリチュアルに求める
ことのすべては、それの真実が魂に内包しているのです。
だから自分の内界を観ること以外は、真実も幸福も無いと
言い得るのです。
あなたの魂は、あなたの内界に在り、他人の宗教や
エセスピリチュアルを語る人の中に在るわけがない
という事実にどうして気づかないのでしょう?