宗教の永続性

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なぜ、この世界に邪教が絶えないのか。

列車の通る鉄道レールは、どこまで行っても

平行を保つように、真理と非真理もまた平行した

軌跡を描いている事実。

片方のレールは、眼に見えるもの。もう片方は、

眼に観えず、手に触れることも出来ないもの。

物質と非物質が共存していながら、片方の

非物質の真理を見ることが出来ないのが感覚。

 

ゴーダマ仏陀の教えが反映しない非仏教は、

一本のレールのように長い歴史を貫いている。

おびただしい数の仏典や寺院は、視覚に映る

物質であり、これからも存続するだろう。

それと並行しながら、不可視な真理もまた

永遠に一つの軌跡を描いている。

真理は実在でありながら、非物質なるがゆえに

人に理解されない。感覚に知覚されないから。

 

人が身体感覚を通して、知覚し得るものは、

眼に見えて、手で触れることの出来るもの。

宗教という組織形態を見るのは、感覚ゆえ。

物質の内界を見ることが出来ないのが感覚。

ゆえに人は感覚を超えなければ、物質の内面

である真理を知覚することが難しい。

何らかの形態を有する宗教を見る限りは、

宗教の本質を見ることが出来ないということ。

宗教に騙された、という人は膨大な数にのぼる

だろうし、これからもまた大勢が騙され続ける

という宿命にある。

何故か?

感覚を通してしか、人は物事を知覚することが

出来ないから。見た目の良いもの、心地がいい

言葉、良さそうな教義、威圧的な殿堂など。

それらは単なる見せかけ。ネギを背負うカモ

取り装置だと見抜けないのが感覚判断。

人が感覚を用いる限り、偽りの宗教は絶えない。

これが永遠の邪宗教の流れを作る。

人は、邪教が悪いと言う。それも一理ある。

だが、邪教が存続する土壌を形成しているのは、

他でもない、感覚的な人なのだ。感覚では

真偽を見分けることが極めて難しいから。

感覚に支配された人間がいる限り、邪教は

その存在性を主張する。そして増え続ける。

人が弱り果てて、期待して、信じて、様々な

宗教にしがみつくのは、いつの時代も同じ。

金を吸い取られ、ポイと会員を捨てる宗教

ばかりがはびこる。これが理解できたなら、

あなたはどうするか?