恩寵

【下記は、転載・流用を禁じます】

 ある日、紫蓮さんが号泣した意味は、

日浦の壮絶な苦悩の数々を観たからだ。

それと「わたしは誰か」との問いを

発した過去の小学生。

この因果関係が紫蓮さんによって、

明らかにされた。

読者には、有益な知識・情報ではない

かも知れないが、少し書こうと思う。

現在でも、あの体験を昨日の体験の

ように思い出す。

わたしは誰かと自分に問いかけたそのとき、

「息子よ、よくぞ問いかけた。普通の人は、

そのような問いを持たないのだ。」という

荘厳な声が内側からやってきた。

「あなたは誰ですか?」と問い返せば、

「わたしは、お前だ。神を超えた存在だ。」

と言った。

その小学生は、人に生まれたことの不満を

抱えていたので、

「そんな偉い人が、どうして僕なんかに

生まれたのですか!」

そう食ってかかったことを思い出す。

「お前は、家でも学校でも、雑巾がけを

しているだろう。」と聞くので、

「はい、そうです。それがどうしたという

のですか!」と怒りに似た感情が湧いた。

それに対する答えが、凄いものだった。

「その雑巾が、ボロボロになったらどう

するのか?」と聞くので、

「捨てます。」と答えたものだ。

「捨てずに、それを使い続けたら、

その雑巾は、どうなるのか?」

というおバカなことを聞くので、        

「ボロボロのボロボロになり、

使えなくなります。」と言えば、

その返事が凄かった。

「そうだ息子よ、お前は、ぼろ雑巾のように

ボロボロのボロボロになるための体験をする

ために生まれてきたのだ。息子よ!」

というものだった。

それを聞いて、意味が分からないが、

幸せが無いことを知り、切なくて

悲しくて、泣いた。

これが7歳の子供に与えられた激苦体験の

宣言だった。

それから63年後、紫蓮さんが号泣した

理由は述べた。

その翌月の紫蓮さんは、ファミレス内の

虚空に向かって叫びをあげた。

「なんですって!あの日浦さんの苦悩が

恩寵ですって!?

わたしには、納得できません!それを受け

入れることが出来ません!」そういって

また泣いていた紫蓮さんだった。

しかし、その翌月、穏やかな紫蓮さんが

語られたことは、

「日浦さん、あの苦悩は大きな恩寵でした。」

だとさ(笑)

「なぜあれが、恩寵だというの?」と聞けば、

それはそれは、またまた恐ろしい告知が

紫蓮さんから発せられた!

2か月前、紫蓮さんが号泣した日浦の

苦悩の中身よりも、もっともっと強大な

苦悩が待ち構えている!という告知だ。

あー聞かなきゃあよかったな。

これから迎える巨大な苦悩。それに耐え

られるかどうかの厳しいテストが、

あの苦悩という恩寵だったとおっしゃった。

言われたことの意味は理解した。

だが今は未だ、それを文章に現すことが

出来ない。

その理由は、日浦に関係ない読者さえ

恐怖するだろうから。

恩寵って、思いのほか凄いものだな。