アンチ仏陀その3

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ゴーダマ仏陀の教えが流布されるとき、

インドには、多様な偶像崇拝を習慣とする古い

傾向があって、それが当たり前だったのです。

例えば、ガネーシアという像の形をした木像

等です。そのことを仏陀は批判し、排除する

ことをしませんでした。

なぜかと言えば、偶像崇拝していた彼らの多くは、

ヒンドウーであり、瞑想の対象として、いわば

偶像物に精神集中していたのであって、事実上の

偶像崇拝主義者ではなかったからです。

この偶像崇拝を認めたことが、ゴーダマ仏陀の

教えを浸透させる力になっていたと言うこと。

では、仏陀の入滅後、いったい何が起こったのか、

ここまでの説明によって、想像がつくでしょう。

そうです。仏陀の入滅後、仏陀の信奉者たちは、

そのような偶像崇拝を非難して、偶像崇拝を

やめさせようとしたのです。

それがどういう反応を生じさせたのか想像が

つくでしょう。

仏陀を神と崇め、仏陀の教えを実践しようとした

多くの者から、大きな反発が生まれたのです。

「仏陀は容認した、しかし君たちは批判する」

という不満と反発感情が湧いてきたわけです。

遂には、仏教を辞める人たちが多発し、それが

全土に広まり、やがては、仏教が壊滅状態になった

という、いわば自然な流れです。

ここで、大きな問題になるのは、仏陀の信奉者の

位置づけです。仏陀の信奉者という彼らは、

仏陀の弟子なのか、それとも別の集団であったか、

という問いが発せられなければならないのです。

この信奉者については、後述することにして、

仏陀の入滅後、別の問題も孕んでいました。

それは、仏陀の教団は、解散されたということ。

解散された仏陀の組織は、仏典に書かれている

ような、第一回目の集結、第二回目の集結は、

無かったということ。

実際に解散された組織のそこには、個々には、

一体何が生じると思いますか?

そこは、まさに縁起があり、これがあれば、

それとそれが生じる。生じたそれからは、

これらがこのように生じた、というものです。

このような混沌期から、おおよそ数百年後、

パーリ経典が生じたことになります。

どこの誰が、書いたのか、どういう意図が

あったのか、なかったのか、それを知る人は

誰もいないのです。ここに仏教生成の闇が

在るのです。

真相を知る者は、仏陀のサブを務めた本人

だけです。

その彼は、仏典に書かれたアーナンダでも

ないのです。