ファンタジー仏教

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父の兄弟は、11人いて、母の兄弟は、9人いた。

子供の頃から親戚の葬儀が多かったと思う。

葬儀は、坊さんを呼んで、経を読み、酒と食事を

ふるまう。

「お坊さん、人が死ぬと、魂は残るの?」

別の葬儀では、「人が死ぬと、どこへ行くの?」

或いは、「死後の魂は、どこへ行くの?」という

質問をした。必ず。

いろんな坊さんがいう共通の言葉は、

死後の世界はない。魂もない。だからあの世もない。

だから死んで再び生まれることも無い。というもの。

「ふーん、じゃあ、なぜ戒名なんかつけるの?」

「うるさいな!お前は、あっちへいけ!」

「はいはい」

高校生になったころ、岩波文庫のスッタ二パーターを

読んだ。心震わせる素晴らしい文言があり、それが

仏陀の教えだとする説明が、ウソだと思った。

仏陀を知らない作者の詩だと知った。なぜ、それが

分かるのか?との疑問もあった。

仏陀入滅後、第一回の集結があり、教えを確認した

けれど、その記録は仏典として残さなかった、という

共通の仏教史。

二度目の集結もあった、と学者はいうけれど、年代が

不明の様子。

仏典が最初に現れたのは、パーリー仏典であり、仏陀の

滅後、300年とか500年とも言われ、学者によっても

食い違うようだ。それでも仏陀の弟子が書いた経だと

云うスタンスを取っている。

そうしないと、仏典は信頼性が無いことになるからだ。

では、仏教者に聞きたい。

仏陀の入滅後、その弟子たちは、頑張って300年とか

500年も生きながらえて、やっとの思いで経を書いた

などと、学者は言ってはいないが、弟子が書いたものと

言い張るのは、やはり300年も500年も、弟子たちが

生きながらえた、ということを暗示している。

ばかばかしい。

500年も人が生きるわけがない。

武田邦彦の仏教、苫米地の仏教、オウム麻原の仏教、

大川隆法の仏教、スサマーラ長老の仏教などなど、

みなが異なるを語る。彼らの誰が語る仏教もみな、

ファンタジー仏教なりと我は言うなり。

なぜか、

作者知らずの疑似仏典に依らず、

ゴーダマ仏陀その人と共に真理を語り、

ゴーダマ仏陀と同じ悟りを得た者、

彼こそが、真実の仏教を語る者。

その彼曰く、南伝も北伝も、

多くの手垢にまみれた仏陀の論考集に過ぎない。

しかし、真実を求める人よ、安心したまえ。

実像のゴーダマ仏陀に出会うという「ゴーダマ

仏陀出会いのツアー」を開催する。

それは、「ラーラ・ジャパン」の企画によって。