聖書は矛盾の集積

【下記は無断転載・流用を禁ず】

20歳のころ聖書に登場するイエス・キリストに興味を

持ったので、聖書を熟読したものです。その結果、聖書に

記された多くの矛盾が分かり、矛盾に満ちたキリスト教を

信じることはなかったのは幸いでした。

近年の考古学者なども、聖書のウソと矛盾を指摘して

いますが、聖書のウソを認めない人達は、キリスト教徒

であるのです。

なぜ、キリスト教徒は、聖書のウソを認めないのか。

 

重要な視点は

皆さんは、ウソとは、なんであるか考えたことがあり

ますか?それは、客観的な真実に対しての偽りをウソと

呼ぶわけですが、どうやってウソを見出せばいいのか。

聖書について、その文中に「ウソがひとつでもあれば」

聖書全体の信頼性が揺らぐのです。

この認識が客観性です。

客観性のないひとは、「ひとつや二つくらいの小さな嘘が

あり、間違いがあるにしても、それは、誤差の範囲である」

として、聖書の全体像を信じる人は、知能が極めて低いと

言わざるを得ないのです。

何故ですか?

そこに矛盾が書いてあること、それ自体を認められない

と言う知性の低さです。矛盾や嘘を、なぜ信じるかね?

それは、自分が信じたいから信じるのだと言う感覚的な

判断です。ウソや矛盾を認めることが出来ない感性とは、

なんですかね?

 

歴史家や考古学者が調べた聖書は、どこの誰が書いた

ものか分からないのです。ヨハネなどの弟子が書いた

と言うのも根拠がないのです。

同じく、仏典類を仏陀の弟子が書いたと思い込み、

そう言い張りながら、それを信じる仏教徒も愚かでは?

何故なら仏典類のすべてが聖書と同じく、誰が書いた

か分からないというのが史実を調べた学者の意見です。

 

なぜ人は、書き人知らずの仏典や聖書や宗教なんかを

信じるのか?人はなんであれ、それが真実か否かを

感覚的な判断を避けながら、客観的な真実を識別する

分別力を見失っているからです。面倒だしね。。。

 

以下は、聖書にあるウソの一つ。(佐倉哲さんのHPから)

聖書にある人類始祖のアダムは、今から約六千年前に

創造されたとあります。しかし、その年代は、日本の縄文

時代に該当するのです。

近年の考古学からみるならば、最古の人類は、アフリカ

中部で発見された約700万年前のチャド猿人だとされ、

その後、様々な人類が誕生して消滅したと言われ、ホモ・

サピエンスは、20万年ほど前にアフリカで誕生し、その後、

約6万年前にアフリカを飛び出し、それが世界中へ旅立った

とされています。

 

港川人は、2万~2万2千年前、沖縄県に存在したとされる

人類であり、北京原人の化石は、約68~78万年前とされ、

エチオピアのルーシーは、約318万年前だとされています。

ラミダス猿人は約440万年前。オロリン・ツゲネンシスは

約600万年前。サヘラントロプス・チャデンシスは約700万

年前。人類最古の祖先は、ルーシーでなく、ラミダス猿人

だとされています。約440万年前のラミダス猿人の全身

骨格が再現されたという考古学の功績は、聖書の記述が

ウソであることを証明したのです。

聖書での人類始祖アダムは、約六千年前に創造されたと

書いた人、その編纂に加わった集団も頭が悪すぎる。

 

矛盾に満ちた聖書は、ヨハネその他が書いたという

牧師らの主張は、近代の調査によって否定された。

つまり誰が書いたか分からない書籍が聖書であり、

信憑性がないということ。

それゆえ、「聖書は、どこの馬の骨が書いたのか

分からない幼稚な文言の寄せ集めである。だから

私は聖書を信じない。」という否定的な精神は、

不健全ではないのです。

宗教やスピ世界を信じる人も、クリスチャン的です。

 

 

聖書のウソを認めたら、キリスト教は崩壊するので、

聖職者は、次のでっち上げの嘘を世界に布告しました。

「聖書は神が書いた書である。如何なる間違いも無い」

或いは、「神の霊感に導かれて書かれたものであり、

いかなる誤謬も認めない。」という大きな大嘘を宣言

して来たのです。

聖書を信じる人は気の毒。アーメン。。。

 

詭弁家の彼らに100歩譲って聖書を見るなら、

「神の霊感とは、多くの矛盾や嘘も含むもの」と

いう宣言になり、皮肉っていえば、「聖書の様々な

嘘と矛盾を書いた神を、我々のキリスト教の神と

言うなり」という主張にも聞こえ、「矛盾に満ちた

神の一人子が、イエスキリストだよん~」と言わんと

する低レベルな教えです。

あほらし。

 

イエスキリストと呼ばれた人は、悟っていたので、

日浦はイエスキリストを肯定します。イエスの名を

利用した知能の低いエセ宗教がキリスト教です。

 

皆さんも知るように、歴史上で多くの戦争を起こした

のはキリスト教であり、彼らの精神には、残虐さがある

のです。だから彼らの信仰は、間違っているのです。

 

中世のキリスト教団は、暗い過去を持つ。

近年においてさえ、アメリカの裁判歴史に残る恐ろしい

キリスト教の闇。それは、クリスチャンの子供たちを

性的な道具として使った多くの牧師がいて、それを

隠し通してきたのが権威を持った教会であったという

驚きの事実。

新聞記者の調査によって、その暗い闇が暴かれ、新聞や

テレビに流れ、裁判にもなった事件は、地域の警察や

弁護士など、権力を持った教会を恐れて、法的手段を

とらなかったことも明らかになった。お金で買収されて

口を閉ざす不祥事なども何処にもある。

 

アメリカにゲイが多いのは、少年少女たちに性的な

調教を繰り返した祭司や牧師たちの責任であるとする

論説さえある。

子供たちに性的虐待をする集団が真理の集団である

わけもない。つまるところ、表向きは神や愛を説き

ながら、裏では、権力者と組み、戦争を企てたり、

少年少女に性的虐待を繰り返してきたキリスト教は、

悪魔の集団ではないのか?

 

もし、「それは、一部の教会がやったことであって、

我々は、それと違う」というクリスチャンがいるなら、

僕は問いたい。

「ウソにまみれた聖書に真理の核があるわけもなく、

権力者の堕落が、権力者たちから容認されるのは、

悪魔的だから」と。 

 

バチカンに集まる月収益の五分の一のお金を使えば、

アフリカやインドの貧民を救える。学校も作れるのだ。

そうしたことに眼を向けることなく、絢爛豪華な城を

持ち、近代兵器を備えた要塞もあり、自前の警察組織や

傭兵も備えている。バチカンの地下では、おぞましい

エクソシストが行われ、呪詛を行っている。

バチカン大学でもエクソシストを教えている。

世界の貧困から吸い上げたお金を、湯水のごとくに

ジャブジャブ使い、自分たちが贅沢三昧するバチカン。

こんなものがイエスの愛の教えを行える訳もない。

彼らが語る愛は、ただ口先だけ。

 

幸福な人は、荒唐無稽な宗教を

無用なものとして捨て去っている。