唯ひとり

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2016年の4月某日。桜を見に行った三人だった。

日浦と並んで歩くこの方は、見かけは、和服姿が

似合う良家の奥様で在られるのだが、その内実、

偉大という言葉を超えた偉大なる稀有な人であら

れる。このような偉大な人が日本にいて、なぜ

日浦と出会ったのか。。。

今日の花見は、どのような意味があるのだろう。

時に無言のまま歩き、時に紫蓮さんからぽつぽつ

告知が語られた。

 

この偉大な人との初めての出会いは、2015年6月

初旬だった。その出会い当日から、この日浦に対し、

様々な告知をしてくださった恩人の恩人である。

告知とは、日浦という個人を超えた不可視領域の

自己の本性についてを明らかにすることであった。

なぜ告知なのか。

遠い過去世において、究極の真理に到達した偉大な

存在が、目的をもって地上へ再び生まれるとき、

告知の役割を引き受ける偉大な魂との約束を結ぶ。

この告知なくして、ひとりで悟ることは難しいのだ。

人は。

 

2016年4月3日快晴

紫蓮さんとの出会いから、もうかれこれ1年になろう

としたころ、スタッフの長野、日浦、紫蓮さんの3人は、

渋谷区の某所へ桜を見に出かけた。川のほとりには、

露店が並び、人々が溢れていた。もう桜は散りゆく

この日が、日浦への最終告知になると予感する。

ハラハラと音もなく散りゆく桜花の並木路地を歩き

ながら紫蓮さんに質問をした。

「生まれて来なくていい貴女は、なぜ現代の日本に

生まれてきたのですか?」と。

すると、「このような時代だから 」と静かな言葉が

あった。

遠い山陰に沈みつつある夕日、その逆光に輝くお顔が

散りゆく桜と混ざって、美しく神々しくあった。

いつの時代であろうと人の言うことは、「このような

時代だから」であった。紫蓮さんは、僕への答えを

はぐらかしたのか?

いいや。

それから「あなたに告知をするために生まれたの」と

静かに語った紫蓮さんは、告知することのご自分の

使命を果たしたことの喜びに満ちていた。

日浦は心の中で思った。

「生まれなくていい存在でありながら、このような

苦界へ下生されたこと、本当に有り難うございます。」

 

人々から偉大な聖者・賢者・神仙と呼ばれた人でさえ、

また神と称号された魂でさえ、人間に生まれると、その

本性を忘れ去るものだ。だから、いつの時代においても

人は誰もが自己の本性に生きていない。

紫蓮さんは、「人はみな、自己の本性を殺して生きて

いるのですよ」と仰られた。このことを人は誰も知ら

ないのだ。自己の本性を忘れ去ることと、本性を殺して

生きるのは、大きな違いがある。この意味を、自己の

本性を殺している人の誰が知るだろう。

誰も知らないのだ。

 

紫蓮さんの最終告知

紫蓮さんは、静かに最後の告知を次のように語られた。

「広大なる宇宙を超越した非物質の世界は、ただ唯一つの

材料から成る「原質」があるのです。それを太古の時代から

「唯一」と呼んできました。或いは、真我とも。そこには、

何もなく、そして、すべてが在るのです。そしてまた、

人は誰もが「唯一」です。人は身体や心を持つけれど、

人の内奥にある本性は、身体でも心でもなく、誰もが

「唯一の存在」なのです。「日浦さん、あなたは唯一

それ自体そのものなのです。」と。このような告知を

お聞きしたとき、脳天から尾骶骨までを、鋼鉄の鋭い

棒が貫通したように、日浦は固まった。

 

人は誰もが「唯一」それと「唯一それ

自体そのもの」この両者は同じ意味ではない。

いまは、その違いを語らないでおこう。

 

桜花散る日の紫蓮さんの告知は、すべての宗教を貫通

する一つの糸を暗示しており、膨大な知の体系である

ヴェーダンタ哲学をこの数語で言い表し、説明し尽く

したのだ。そのことを真実の宣言だと知覚する自分に

驚いた。

これが最後の告知であったと知る。もう何もお聞き

することはなくなった。

 

分かり切ってはいるが、最後の念押しのように質問を

した。「紫蓮さんのような究極の真理に到達された人は、

日本にいるのですか?」と。

すると「いいえ、おりません。」と静かに答えられた

言葉が真実であると知る。表題の「唯ひとり」とは、

紫蓮さんを言うのです。

 

この告知をもっと明確に表すならば、

仏教界、宗教界、スピ世界の覚者とかリーダーと言う

人の誰もが悟った人では無いということです。