質問

ある日のセミナー会場において、

下記の問いがありました。

 

🔸受講生の問い

「自分は、セミナーで学んだ事を

実践できていると思えません。

どうしたらいいでしょうか?」

 

🔸先生による驚きの答え

①「自分の思考を見て、頻出度のある

  思考をメモしよう。

②「メモした思考が出てきたら、

  その思考をきっちりと見て、

④「見た思考に関わらなければ、

⑤「思考は自分への注目度を奪われて、

  沈黙するしかない。」

⑥「あなたが思考に同調しなければ、

   思考が思考そのものとして維持され

   発展できるかどうか見ていなさい。

   それは、絶対にできない!」

  「 思考が消えると、知覚が流れ込んで

    くるので、学ばなくても色んなことが

  分かるようになる。だから、それを

  やってみよう」

 

🔸思考・カルマ消滅の原理

つまるところ、あなたの周囲を勝手に

廻りながら、あなたに思考を吹っ掛ける

つむじ状の旋回エネルギーは、あなたの

関心と言うエネルギー、欲するという

エネルギーによって、旋回していると

知ろう。

これをハッキリ言えば、つむじの旋回は、

あなたが生み出しているということ。

それゆえあなたが関心を示さなければ、

同調さえしなければ、つむじの旋回エネ

ルギーは、消滅するのであり、つむじの

旋回エネルギーは、過去世のカルマさえ

あなたに吹っ掛けているが、その旋回が

止まれば、カルマさえも完全に遮断され、

あなたは思考の束縛から自由になれる。

国を超え、時代を超え、人種を超えて、

すべての人間が知るべき究極の修練が

ここに公開された。上記を時々読み直し、

弱きマインドを鍛えよ。

上記こそは、ゴーダマブッタの説かれた

真の修練であり、マントラ、読経、真言、

瞑想、クンパカ、禅その他、それらは、

人の思考の産物であり、まやかしだと

知ろう。

上記の理由から、自分自身を救うものは、

他でもなく、自分だと確信しよう。

なぜなら古今東西、人間を救う神は存在

しないのだから。

 

日浦ブログ 終わり

 

没入せよ

今までの説明により、自己とは魂の

事だと理解したのではないですか?

それを頭でわかっても、情が理解

しない。

頭は、知識であり、情は、心です。

では、頭を使えばいいのか?

駄目です。頭は、魂を惑わす思考を

生み出すから。

頭、心、それを使うなとは!!

人の中から、もし思考と欲望が消え

去ったらどうなるのだろう。

思考と欲望の消滅、それは、エゴが

消え去った印であり、同時に、瞬時に

自己のプルシャが起動すること。

この時、あなたは、身体感覚による

エゴから離れるので、感覚が遮断される。

この感覚遮断によってにみ、感覚と思考の

無い無想のプルシャに目覚めること。

ゆえに恐れるにあらず。

プルシャは、全知全能だと知っておこう。

 

🔸輪廻徘徊の終焉

あなたがプルシャに目覚めた瞬間、

エゴの輪廻転生は終わりを告げる。

何となれば、輪廻転生は魂の体験では

なく、エゴの連続的体験なのです。

これがあなた(プルシャ)は生まれて

いないと言う理由です。

 

エゴの投影する欲望は、終わりも限りも

ないため、幾度も生まれ変わりながら

あらゆる欲望を達成しようと、エンド

レスな体験をするわけ。

過去の暗い暗い時代、暗黒世界の体験、

無法地帯の生活体験、真理なき暗闇の

世界を幾度も幾度も輪廻徘徊することが

終わるのは、エゴが消え去り、生まれて

いない永遠の自己を見出すからです。

このように、数百万年もの輪廻において、

皆さんは、ありとあらゆる邪悪を成して

きた可能性があり、邪悪極まりない生き

方をした過去があって不思議はないです。

もちろん、善に生きようとした生もある

かも知れないが。

歴史上に残る邪悪の数々は、生まれ変わる

エゴによる活動の総計であり、皆さんの

過去世の姿なのです。そのことを皆さんは

知らないだけ。しかし、いつの日か皆さん

自身が知らない無意味な輪廻徘徊が終わる。

なぜ終わるのか?

魂は、生まれ変わる転生輪廻をしていない

けれど、生まれ変わるエゴと同一化していた

ので、エゴと共に体験した履歴の全部を想い

出すのです。あなたが自分の過去世を思い

出すとき、他人の過去世も知ることが出来る。

 

🔸人生は、無駄な輪廻徘徊

あるセミナーの時、先生は、ぽつりと

語られた。

『皆さんは、すでに何百万年も輪廻して

きました。それでもゴールに到達する

こともなく、いまでも人の体を持って、

輪廻徘徊しているのです。そのことを

皆さんは知らないだけです。』

このお言葉により、会場は静かになった。

続けて先生いわく、

『このままだと、これから先もまた何の

目的もなく、ゴールを目指すこともなく、

再び何百万年も無意味な輪廻徘徊を繰り

返すことでしょう。皆さん、それでいい

のですか?』と。

先生のお言葉により、会場は水を打った

ように静かになった。

 

無益な苦渋に満ちた輪廻徘徊を終わ

らせるには、没入が必須です。

没入は、エゴへのしがみつき、これを

放棄するという決心をすること。

出来るとか、できないは、考えない。

やろうという決意が先立つこと。これが

魂の意志。しかしながらエゴの無限的な

輪廻徘徊に影響されて、魂の意志さえも

エゴ化している。

そんなあなたを救済するのは、誰だろう?

あなたを解放するのは、魂の意志なのだ。

没入の準備

自分を解放すること、即ち解脱という

感覚的な没入を容易にするためには、

どうあればいいのか?という問いが

あるならば、皆さんは、それを答え

られる知識を既に得ています。

もし、クイズにしたら皆さん自身が

正解を示すでしょう。

その正しい答えは、エゴの本質である

「生存欲求」の放棄です。生存欲求は

生の欲望総体を含蓄しています。

それは、肉体を放棄することではない

ことも分かると思います。なぜなら、

肉体が欲望すると言うのは間違いで

あって、欲望するものは「心」です。

 

解脱と言う難しい言葉を使わずとも、

悟り、自分の解放、覚醒、自己実現

という言葉に置き換えれば、身近な

テーマになるのでは?

こうしたテーマに沿って、宗教とか

スピ系、心理学では、いったい何を

教えているのでしょう?

 

🔸真の引き寄せの法則

例えば、スピ系の多くが語る引き寄せの

法則は、まさに欲望を喚起する言葉だと

分かるのではないですか?

だからこそ、引き寄せの法則は、欲望を

たぎらせる愚か者が取り組むものです。

取り組まなかったあなたは賢い。

エゴ自体が放つ引き寄せの法則は、

単に欲望の喚起であり、真理と逆向きの

ベクトルを持っており、それらに興味を

示すことは、魂の力を失い、偽りの生存

欲求を強化するだけです。

それは、欲望に突進して心を汚して、

その結果は不幸を招き入れます。

汚れた心は、純粋なプルシャと真逆

なもの。

それゆえ欲望する心は、汚れが増大

するので、プルシャの力、知識は、

得難いものに成るのです。というか

失われるということ。

もっとハッキリ言えば、プルシャの

力を殺すものが、欲望と思考です。

現実のあなたは、欲望と思考を使って

いることが自分で自分を殺していると

言われた先生のお言葉の意味です。

あなたが殺すべき対象物は、欲望と

思考です。それによってのみ自己が

起動するということ。

 

🔸没入の準備とは

もし真の引き寄せの法則があると言う

ならば、それは、「欲望の放棄」です。

ここで言う主要なことは、人の抱く

基本的な欲望が悪だと言うことでは

ないです。倫理的、道徳的な意味でも

なく、ストイックを推奨するわけでも

なく、欲望するとき、魂の超越的な力を

失うということです。これが、大きな

大きな損失だということです。

いったい、どれほどの損失かと言うと、

あなたが無欲を持って、魂を知覚した

ならば、あなたは不死を獲得するし、

時間と空間の支配を受けず、自然法則に

さえ縛られない自由を獲得するし、

テレポーションもヒーリングも自由に

なり、凄い霊眼を獲得し、知らない

ことは殆どなくなるし、望むことは、

それが何であれ、即座に実現させる

超越的な力を獲得するのです。

病気も貧困も解消します。

このような魂の力と、それと人との

比較において、人の抱く欲望がいかに

小さいのか、実現不確かなものかが

分かるように成ります。

これが分かれば、進んで欲望を離れる

ことが容易になると思います。

あなたがハッキリと知るべきことは、

魂にとって、勘違いの生存欲求を捨てた

として、肉体のあなたが失うものは何も

ないということです。

この勘違いによる欲望を離れたならば、

解脱は自然とやってくるでしょう。

何ら努力なしに。。。

このことは、26歳の時、丹沢山中での

断食瞑想により、望まずとも獲得した

諸々の力です。

 

人の生存欲求が薄れてゆくと、平和な

感覚が生まれてくるし、幸福がやって

きます。これこそが魂の力、真の引き

寄せの法則と言い得るのです。

欲望の放棄、それは、たやすい。

皆さん、やってみたらいい。

 

再起動

以前、パソコン再起動の例え話しをした

けれど、もう一度、説明しよう。

パソコンの再起動は、先ず電源を切る。

マウスを使うか、手動によって。

その後、今まで使っていたOSが再起動

するだけで、まったく新しい別のOSが

再起動することはあり得ない。

これは、単にパソコンの話し。

 

しかし、人の再起動があるのです。例えば、

ぎゅっと握った拳をパッと開くことが電源の

オフ。それは、エゴへの関心や関りをOFに

することに外ならない。なぜならエゴと接続

している限り、思考や欲望が湧いて当然のこと。

この電源オフは、身体の感覚遮断が伴わないと

意味がない。感覚遮断は没入だと説明した通り。

それゆえ感覚遮断を不安に受け止めてはいけない。

感覚遮断は、エゴの遮断であり、断絶であるから、

それが思考とか、カルマと呼ぶ記憶の遮断、更に

身体との感覚遮断が生じる。だから感覚遮断とは、

魂を知覚する悟りであり、解脱です。

 

🔸悟りは1秒

この感覚遮断とは、それによってのみ、

瞬時に自己の魂を知覚するものです。

それは、魂の超越意識の知覚です。

つまり感覚遮断は、ゴールへ到達した

明確な印なのです。だから感覚遮断を

恐れてはいけない。

この感覚遮断、感覚との分離なくして、

自己覚醒はありえない。

この感覚遮断は、1秒あればいい。

 

ラージャヨーガの中で、サマディーは

完全なる集中とか、超越意識へ行くとか

言っているけれど、拳の力を放つ説明は、

完全なるリラクゼーションであり、更に

魂それ自体が超越意識だということ。

感覚遮断は、自己覚醒、解脱、ニルバー

ナーそのもの。

 

余計なお世話と言われるかも知れないが、

仏教者は、魂やアートマンは存在しないと

いう、ヒンズー教徒の書いた疑似仏典の

嘘を信じているので、心を悟りの媒体と

みなして、疑似仏典を読む。疑似仏典を

朗読する。これは、思考の範疇にあり、

それゆえ彼らの悟りは、心といい、思考と

いう観念から生み出される思考であるので、

感覚遮断の重要性を知らないのではないか。

感覚遮断を伴う知覚を解脱と言うのです。

 

自己と思考の分離、或いは、思考の消滅は、

感覚遮断によってのみ生じるもの。

このような自己の魂を知覚した魂は、眠りの

状態にある肉体を再び取り上げる。これが

再起動に該当する。

この再起動は、古いOS(エゴ・心・思考)は

完全に消去されたので、まったくもって新しい

OS(唯一・真我)がダウンロードされて再び

起動される。この時の肉体は、真我の受容体と

してのみ働くので、消えたエゴは働かない。

だから、魂の純粋な超越的な力と、超越的な

知識を発揮するのです。

これは、本当に凄いことだよ。

このことを、真の知識として受け入れよ。

受け入れなければ、エゴに留まるので、

魂の解放は起こらない。

 

電源をオフにせよ!

或いは、没入せよ!

身体が生きようが、死のうが、身体は

あなたではないし、あなたに関係ない

ものだから、自ら進んで没入せよ。

一時的な感覚遮断や没入行為により、

あなたの身体が死ぬことはあり得ない。

絶対に死なない。

だから感覚遮断を恐れるな。感覚遮断を

恐れるのは、エゴだと理解しよう。

没入、感覚遮断によってのみ、あなたは

解放を遂げる。

魂の知覚が真の自己「あなた」なのだ。

このことをしっかりと記憶せよ。

 

忘れてはならない。あなたに生存欲求が

ある限り、あなたはエゴにしがみつく人と

認識しよう。それは、「魂」と「エゴ」の

二人三脚状態の継続であり、偉大な魂であれ、

悟ったグルであれ、エゴにしっかりとしがみ

つく彼を解放することはできないだろう。

自分を解放するのは、自分でしかないのだ。

 

この理解と決意が出来た者は、それの

実践によって、偉大なるゴーダマ仏陀の

弟子となる資格が得られて、その系列に

参入することが可能になる。

そこへ導かれ、そこへ到達した魂達は、

あらゆる欲望と思考の攻撃から自由に

なった「至高のプルシャ」と呼ばれる。

 

かつて、ゴーダマ仏陀のサブを務めた魂、

その彼は、ゴーダマ仏陀の教えをここに

公開するものなり。

 

終わり

 

 

エゴの正体

記事「身体の離脱」その他に述べたこと。

それに加えて、先生と出会った時、

「エゴとは何ですか?」とお聞きした。

先生は目を丸くして、「そんなことも

分からないのかい!?」とは言わないが、

先生は、「エゴとは、生存欲求の事だよ、

日浦さん」と教えられた。

この言葉に対する僕からの質問は無かった

と思う。ただ数日間は、生存欲求について

徹底的に追求することはした。

すると、エゴ=生存欲求がどれほどの被害を

魂に与えるのか、はっきりした。このことは、

皆さんも自分自身が探求し、理解しなければ、

先生や僕の説明は自分への証明にならない。

がしかし、要点を述べよう。

魂は、地上へ生まれて来ない。身体の中にも

宿っていないという大前提からすれば、

身体が自分だとか、心が自分だ、わたしは

生まれた、という思考は、何だろう?

そう、それがエゴの正体だ。

そして、生まれたからには、生きる欲望が

あって当然だ、という感性はなんだろう?

そう、それがエゴの正体だ。

この思考、或いは感覚は、生まれていない

魂にとって、大きな惑わしだと理解しよう。

つまり身体感覚と思考に惑わされる魂たち。

感覚と思考に騙されているのは、魂のあなた

自身だよ。このような惑わしの生存欲求が魂を

破壊するエゴだと言う理解が生まれなければ、

魂自体がエゴにしがみつくも当然の帰結かも

知れない。

 

このエゴは、小さな竜巻、それは、つむじの

エネルギーとなり、魂の回りを勝手に旋回し

ながら、魂に思考や情念を吹っ掛けていると

いう恐ろしい話し。

人の目には、これが見えない。見えないから

エゴの正体が分からない。だから思考を自分の

ものと信じて疑わない魂たち。

しかし、旋回するつむじ状のエゴは、魂が身体と

接合したことによって、生まれたもの。

更に、魂を惑わすエゴに活力を注いでいるのも、

なんと魂であるという驚き。

 

【思考は自ら消え去る】
先生いわく、あなたが思考に同調しなければ、

思考それ自体が思考として維持され、発展する

ことが絶対にできない。だから思考は自ら沈黙

するしかないと。あなたが欲すると言うことが、

つむじを生み出し、活力を与えているのだと。

例えば、ぎゅっと握った拳を、パッと放してみる

とき、つむじは、旋回する力を失って、消え去る

のだと。その時、挨拶に来るとおっしゃった。

修業とは、つむじを止めること、ただ、それだけで

いいのだと。思考の消滅が難しいというのもエゴ。

 

上記の説明が、すべての宗教、心理学、諸々の

科学を超越した真の真理、それへ至る教え。

 

終わり

 

究極の教え

すべての宗教、心理学、諸々の科学を

遥かに超越した真の真理、それへ至る

ための究極の教えを公開します。

 

🔸誰もが問うべきこと

読者の、受講生の問い「内側を見る」と

いう意味をより細かく噛み砕いてもらえ

ないでしょうか?

🔸永遠の真のバイブル

先生:皆さんの参考になるかどうか、

分からないけれど、わたしの場合は、

あまり感情のない人間というか、

何も考えていないような人間だった

ので、考えることができないというか、

考えない分だけとても楽でした。

頭のいい人のように、ああであるとか、

こうであるとか、様々な思考をぐる

ぐると回して、決めつけできなかった

ことが、とてもシンプルに生きる結果

になったのです。わたしの場合、そう

いうシンプルな脳の構造なのです。

「何かを否定する、判断する、断定する、

こうであるから、こうでなければなら

ないという断定的な思考が生じる場合、

この思考は、どこから来るのか、

この感情は、どこから来ているのか、

その感情や思考をただしっかり見る

だけで、思考は消え去るのです。」

思考を見る時、こうだと決めつけたり、

ああだとか、こうだという判断をしな

ければ、このことを同調しないことと

言うけれど、その思考や感情がスーッ

と自然に消えていくので、それを感じ

取るだけです。思考や感情が消えると、

知覚が流れ込んでくるため、何かを学ん

だり、考えたり、何かを体験しなくても

楽になっている自分に気がつく、色んな

事が分かるようになってくる、或いは、

湧いてくるものがある。

そのような感覚は、皆さんも必ず持って

いるから、それを否定して、怠けだとか、

逃げだとか、負け組だ、勝ち組だなどと

いう思考に惑わされないように。しかし

ながら頭のいい方達が入って来ることを

否定しません。

 

🔸究極の真理である証明

上記は、先生のお言葉ですが、高い境地の

至高なる魂から放たれる、真の真理に入る

ための神髄であり、これに勝る高い教えは

ありません。実のところ、ゴーダマ仏陀の

説かれた教えの神髄なのです。

巷に語られる、諸々の宗教、瞑想、精神

集中、ヨーガ、神道系、仙道系などの

諸々の修練方法は、単なる人の思考の

産物であり、それは心と同一化した魂を

解放する力を持っていないのです。

なぜなら上記のような「思考の消滅」が

説かれていないから、ゴールに到達する

人が出てこないのです。

究極が示されたいま、皆さんは、これを

自分が実践しなければならないのです。

日浦裕次のブログを読むけれど、これを

実践しない人は、救いようがありません。

その理由は、自分の魂の意志によって、

エゴにしがみついているからです。

 

このブログを終わります。